墓じまい

お墓について考えてみた。

うちはお墓がない。

実家にはもちろんあるので、はじめ驚いたが、墓守しなくていい!と嬉しくなったのを思い出す。

最近よく『墓終い』という言葉を聞く。

30代だとまだまだ自分の世代じゃなく、親世代の問題になっていることが多いと思うけれど、それでもいつかそのうち、自分の問題になってくる話である。

墓終いとは、墓が遠方にあったり、墓を継ぐ人がいない、人がいても管理する気がないなど墓の管理ができない場合、自分の代で墓を終わらせる方法の一つ。

うちは家業の関係でお墓にも関係があり、

たびたび墓じまいに関してお問い合わせをいただく。

墓終いをするには役所での手続きも必要だし、

お寺や墓石屋さんにも立ち会ってもらう必要がある。

その後そこに埋葬されていたお骨を市や町の納骨堂に収められるのか確認も必要だったりでお金と時間もかかる。

ただこの先維持していくよりも楽だと思う人もいるだろう。

それだけ私たちの生活にお墓というものが縁遠くなったのだと思う。

うちのあたりでは先日お彼岸の法要がお墓で行われた。

皆、自分の家の墓をきれいに掃除し、花を供えている。

でも、年齢的に年配の方が多く、若い人達がそれに関わっている姿を見るのは少ない。

高齢化が進み、80代でも元気な人も多くその方たちがまだ元気で現役なうちはそういうお墓だお寺だという『代々続く家の行事』はその世代に任せっぱなしになっているのが現状だろう。

なぜ墓参りをして、葬式だけでなく永代供養だとか亡くなった人の法要をする必要があるのか。

そういう本当の根っこの部分が、もう今はちゃんと継承されていないのだなぁと思う。

墓じまいだけじゃなくて、

今まで家々が当たり前にしてきたことがただの形式的なものになり、

本来伝えなきゃいけないその根底の思いが誰も知らないままこのまますたれていくような気がする。

PTAも町内会も、任意だからしなくていいじゃなくて、

何のためにあるのか考えたほうがいい。

自分だけのために生きる人が増えたなと思う。

自分一人で生きている、回っている世界ではないのに、

ついつい自分が代々続いてきたものの一部であることを忘れてしまう。

悪いこともたくさんある風習だけど、

良い部分もたくさんあるからそれがちゃんと残る社会であるといい。

墓も本来は自分のルーツに感謝する場所なのかもしれない。

自分の親、そのまた親。

ずっと昔の人がいたから今の自分がいて、それを目で確認する場所。

うちは墓はないけど、ね。

そういうものが必要ない場合もある。

墓じまいする前にもう一度、過去の人たちに思いを馳せるのも大事かもしれない。

墓がなくたって昔の人を思うことはできるから。

その気持ちがあれば別に墓がなくてもいいと思う。

 

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