お寺のお嫁さんというと、皆さんどんなことを想像されるのでしょうか?
家に毎日檀家さんが来て、なかなか家を空けられない。
土日などはお葬式や法事などの予定があってこれまた家を空けられない。
本堂や家の掃除を毎日毎日しなくてはいけない。
義両親との同居が当たり前。
しきたりとか覚えることがたくさんある。
男の子を生むことが任務。
ただただ窮屈で普通のサラリーマン家庭の娘には大変だ!
とかそんなイメージでしょうか?
我が家の場合
大変でしたー!!!ということもなく、あれ、お寺って想像していたのとずいぶん違うなという印象です。
たぶん、うちのようなお寺が稀なので、決してこういうお寺が普通だとは言えないのですが、こういうお寺もあると知ってもらえればいいなと思って、書いていきますね。
ただし、何度も言いますがうちは稀です。
こういうお寺は少数派だと思います。
でも中にはこういうお寺もあるのだと思ってもらえればいいなと思います。
寺が副業なの??
うちのお寺は東海地方にある田舎の小さなお寺です。
檀家さんは60軒ほどしかなく、お寺一本で食べていけるような規模ではありません。
そのためずいぶん昔から我が家の住職は、お坊さんとは別の仕事を持っていました。
大体が教職関係や公務員ですが、他にもお医者様や普通のサラリーマンの方もいます。
檀家さんが少ないため普段の法事などもとてもとても少なくて、平日は普通に働いています。
土日にたまに法事があることがありますが、それが毎週毎月ということもありません。
なので本業は普通のサラリーマン、副業が住職と言った方がいいようなものです。
またお寺の収入などあってないようなものです。
法事などで入ったお礼などは給与になるわけではなく、たびたび必要になる修繕費や年数回のお寺の大きな法要にすべて消えるわけです。
むしろ足らないからサラリーマンの給与から補填するような感じです。
世の中で当たり前と思われている『坊主丸儲け』は一部の大きなお寺さんのみに当てはまるだけで、末端の小さなお寺は本当に細々とお寺を経営しているのです。
我が家は浄土真宗
さてそんな小さな小さなお寺の我が家ですが、宗派は浄土真宗です。
もともと開祖である親鸞上人が平民に広めた宗派で、日本全国かなりの数があるようです。
平民のためにある宗教・浄土真宗のお寺は民に寄り添うため集落の中に多いらしく、うちも集落の中にひっそりとあります。
檀家さんはその集落の一部の方がただけであり、なかなか檀家さんが増えるような立地でもありません。
またお寺の中でもそう古い寺ではなく、江戸時代に出来たお寺だそうです。
ですので、観光資源となりそうなものも皆無です。
お寺での生活
法事・しきたり・掃除など
うちの場合、上の書いたような小さなお寺で、人の出入りもあまりなく、法事の件数も年数回程度のお寺なので、お寺として大変な部分というのはほとんどありません。
確かに年数回大きな行事はありますが、何度かこなしていけばある程度流れは分かるのでしきたりも覚えていけるし、中心になるのは義父や主人です。
うちの家はお寺のことに関しては義父や主人がほとんどやってくれるので、妻はやることはあまりありません。ただし檀家さんの顔は当たり前ですが覚えなければいけません。
法事の回数も少ないので、スケジュール管理は本人がします。
なので妻がやることと言えば、年数回のお寺の行事前の大掃除であるとか、稀に見える檀家さんなどのお世話くらいです。
日常の掃除に関しても、家の部分はしますけど、お寺の部分は稀です…。
ただし、お寺の奥さんとして見られるので、普段からご近所の方とは挨拶をちゃんと交わし、品行方正を目指してはいます(笑)
でも、田舎の小さなお寺なので、普通の主婦とそう変わらないおばちゃん具合です。
普段からきっちりメイクをすることもなく、常に家では楽な格好でいます。
お寺の人は家を空けられないのか?
我が家は結構旅行にも行きます。
たまたまでしょうが、義父母も旅行好きで家を空けることが多いため、我が家はお寺ですが家に誰もいないことがよくあります。
それを檀家さんたちもわかってくれているため、甘えている部分もあると思いますが、自分たちの出来る範囲で、お寺と普通の暮らしを両立させているのです。
同居は必須?
うちは同居していますが、最近はしていない方多いですよ。
お寺のおうちは広いので住めないことはないでしょうが、古い家も多いですし、同居してうまくいかないパターンもあるので外で暮らしていて週末は手伝いに帰る方もいるようです。
同居していていいことは日ごろから義祖父母や義父の話を聞けるので、自分自身がお寺のことや宗教のことを知らなくても会話の中から知らず知らずのうちに勉強できる点でしょうか。
疑問に思ったことにもその都度答えてもらえるため、私はすごくためになっていると感じます。
後継ぎに関して
後継ぎのことは檀家さんから言われはしますが、私自身はそう負担に感じませんでした。義父母もあまり口うるさくいう人たちではなかったため、結婚して7年子供なしでした。
最近では住職を女性が継ぐこともよくありますし、子供のいないお寺もあります。
なので男の子でなくても大丈夫ですし、また後継ぎがいない場合、両貰いというお婿さんとお嫁さんをよそから両方貰うというお寺もあります。
まぁこれはなかなか難しいですし、今はお寺に嫁ぎたい、婿に入りたいと言う人自体なかなかいないので、後継ぎがいても、独身の方も多いように思います。
なのでその代ではお寺の後継ぎ問題は解決していますが、その後が続かないこともあるので、あまり深く考えすぎてもなと私は思います。
今お寺に必要なこと
こんなことを書くと、お寺として規律正しくやっている方には怒られてしまうかもしれませんが、今の宗教のほとんどは形式的なものが中心で、教えの中身を理解しているお寺さんが少ないと感じます。
どれだけ形をなぞらえて、見栄をよくしても、中身がない、理解していないのではお寺としての意味は成していないのではないかと思います。
だから宗教離れが進んでいるのだと思います。
我が家では義父とよく話していますが、浄土真宗の教えというのは生きるための教えであり、悟りというのは生きている間に悟れるようなものではないといいます。
悟ったと思ってもそれは間違っているのです。
人は生きている間、いろんなことにぶつかり、悩みますが、それをどうやって乗り越えて向き合っていくのか。
浄土真宗の教えとは自分と向き合い、より生きやすくするための教えです。
お墓がどうとか、お経がどうとか、法事のしきたりがどうとかよりも、教えの中身がどういうものなのかをお坊さんは伝えていくべきであると思います。
(確かに形も大事ですよ)
ただ、そういう中身を伝えることが出来るお坊さんは少なく、今では説教をされる方も少ないようです。
また説教師の方の中にも話がよくわからないままされている方もいますので、何が伝えたいのかわからないことが多々あります。(難しい言葉を使っている→それでは多くの方には伝わらない。またいろんな本などから事例をたくさん並べる→その人の考えは何かわからないなど)
お寺の今後
お寺が世襲制であるため、きちんと理解できないまま住職を継ぐことになる人も多いですし、興味がない方も多いとは思います。
ですが、中身のないものに今後お金を出してついてきてくれる檀家さんなどどれほどいるでしょうか?
私自身寺とは縁もゆかりもない在家出身なので、昔からの付き合いだからしょうがなく付き合っているお寺さんという存在に疑問を感じます。
これからますますお寺離れが進みますが、今のままこれまでの慣例の中に胡坐をかいているお寺ばかりではしょうがないことだと思うし、
そういうお寺はなくなる方がいいとさえ思います。
またうちのような小さなお寺は今後過疎化の流れの中で淘汰されていくのでしょうがそれもまたしょうがないことだと思っています。
ただ、自分たちが元気な間はお寺を守っていきたいなと思いますし、子供には寺を継ぐ継がないどちらでも自由に選んでもらえる未来になればいいなと思います。
最後に
この記事を見た人の中にはもしかしたらお寺の方と付き合っていたり、お寺に興味がある方もいらっしゃると思います。
お寺はいろいろ大変だと言われることも多いとは思いますが、それはどこでどう生きていようとも同じようにあることだと思います。
中に入ってみなければわからないこともありますし、自分自身で変えていける部分もあると思います。
私自身、お寺に嫁いでみて、今のところ嫌だと思ったことは一つもないのでそういう楽観的な意見しかないのかもしれないですが、お寺の嫁というのもなかなかなれるものでもなく、楽しいものですよ。
もしお寺の方とご縁がある方が迷われているならば、こういうお寺もあるのだと思ってもらえればと思います。
