田舎の小さなお寺で暮らす

こんにちは、kikoです。

今日は我が家がお寺ということで、我が家とお寺について書いていきたいと思います。

お寺で暮らすってどんなイメージ?

家がお寺と聞くと、皆さんどんなことを想像されるのでしょうか?

家に毎日檀家さんが来て、なかなか家を空けられない。

年がら年中お葬式や法事などの予定があってこれまた家を空けられない。

本堂や家の掃除を毎日毎日しなくてはいけない。

義両親との同居が当たり前。

しきたりとか覚えることがたくさんある。

男の子を生むことが任務。

坊主丸儲けでしょ?

とかそんなイメージでしょうか?

お寺にもいろんな形があるので、その一例としてうちの場合のお話をしたいと思います。

寺が副業なの??

我が家は東海地方にある浄土真宗の小さなお寺です。

江戸時代のころ、集落には浄土真宗のお寺がなく地元にと望まれて出来たと聞いています。

ただ多くのおうちはすでにどこかのお寺の檀家さんだったため、新たにうちのお寺だけの檀家さんになっていただけた方は少なくて、現在檀家さんは数十軒ほどしかないような規模です。

そのためお寺一本で食べていけるような裕福なお寺ではありません。

そのためずいぶん昔から我が家の住職は、お坊さんとは別の仕事を持っていました。

車がない時代では徒歩で京都まで通って教職をしていた方もいたと聞いています。

現代でも平日は公務員や教師、サラリーマンなど一般の方と同じ仕事をしています。

檀家さんが少ないため普段の法事などもとてもとても少なくて、そのため普通の仕事が出来るわけです。

ただ違うのがお寺の仕事が皆無というわけではないので、平日仕事が終わった後や、仕事の前、土日の休日に法事などを行うことがあります。

kiko
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どちらかというと本業は普通のサラリーマン、副業が住職と言った方がいいような感じです。

そんなお寺なのでお寺の収入はほとんどないようなもので、たまに法事などでいただいたお礼などは給与になるわけではなく、本山への納付やたびたび必要になる修繕費や年数回のお寺の大きな法要にすべて消えるわけです。

kiko
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今のところぎりぎり赤字ではないものの、そのうち赤字になりそうです。

世の中で当たり前と思われている『坊主丸儲け』は一部の大きなお寺さんのみに当てはまるだけで、末端の小さなお寺は本当に細々とお寺を運営しているというのが実情です。

お寺での生活

法事・しきたり・掃除など

うちの場合上記のような小さなお寺なので、日常的な檀家さんの出入りもあまりなく、法事の件数も年数回あればいいほうで、そういう意味ではお寺が忙しいというのはほとんどありません。

確かに春・秋・冬にお寺として大きな行事(永代経・報恩講)はありますが、お寺もこじんまりしているので掃除も含めて大変なのが1週間くらいです。

ここ数年はコロナの影響もあり、法要自体の自粛や規模の縮小などのこともあり、例年通りの開催方法から変わってきました。

今後また以前のように戻るのかどうかはまだわかりませんが、縮小傾向は当分続くかと思っています。

大きな法要以外のお寺の業務は、各お宅で行われる月命日のお参りや個別の法事ですが、月に数えるほどです。

そのためお寺のスケジュールなども住職本人が管理をしてそれで我が寺は回っています。

またお寺のしきたりなどもうちには特にありません。

もしかしたら昔はあったのかもしれませんが、義父が海外生活が長かったせいか、性格のせいかはわかりませんが大らかな人でして義祖父から代替わりしたころからいろいろと習慣を変えていました。

そのため我が家では本当にいたって普通のおうちと変わらない日常生活です。

ただ家自体が広いので、掃除するのは大変です。でも田舎の家は広いおうちが多いのでそれもそこまでよそと変わらないと思います。

お寺の人は家を空けられないのか?

これはその家々の状況によると思います。

我が家も以前は結構旅行に行っていました。

以前は義祖父母、義父母、私たちと3世帯っで暮らしていたので特に義父母はよく海外に2週間3週間出かけていました。

ただ昨今は代替わりもし、旅行中にお葬式が入るということがあっては困るので、日帰りか1泊がせいぜいです。

以前なら気にせず家を空けましたけど、頼れる人がいるからできた贅沢だったなと今は思います。

同居は必須?

うちは同居していましたが、最近はしていない方が多いそうです。

お寺のおうちは広いので住めないことはないでしょうが、古い家も多いですし、同居してうまくいかないパターンもあるので外で暮らしていて週末は手伝いに帰る方もいるようです。

我が家も別に当初は同居じゃなくてもいいと言われていました。

なので、親の考え方次第かもしれませんがお寺でも同居必須というわけではないです。

でもいずれはお寺に入って寺の守をという方が多いかもしれませんね。

後継ぎに関して

後継ぎのことは檀家さんから言われます。ただ我が家は義父母は思っていても口に出さないような気づかいの出来る人だったので結婚して7年間子供なしでした。

最近では住職を女性が継ぐこともよくありますし、子供のいないお寺もあります。

なので男の子でなくても大丈夫ですし、また後継ぎがいない場合、両貰いというお婿さんとお嫁さんをよそから両方貰うというお寺もあります。

まぁこれはなかなか難しいですし、今はお寺に嫁ぎたい、婿に入りたいと言う人自体なかなかいないので、後継ぎがいても、その人自身は独身という方も多いように思います。

なので今代ではお寺の後継ぎ問題はなんとかなっても、その後が続かないこともあるのであまり深く考えすぎなくてもいいかなと私は思います。

kiko
kiko

ちなみに我が家は2019年に第一子が生まれました。

男の子だったのですが、檀家さんも親戚にもめちゃくちゃ喜ばれました。もちろん、義父母もにです。

ですので、後継ぎはいないよりいるほうがいいし、やはり男の子のほうが喜ばれます…。

ただ跡を継ぐかどうかは、それはもう本人次第なので別問題ですね。

お寺の今後の問題

お寺の問題はさまざまあります。

①後継者問題

②檀家さんの高齢化・減少

③建物の老朽化

④若者の宗教アレルギー

⑤葬儀の簡略化

などなど。

今の時代、宗教自体が下火ですので、お寺自体がこの先残っていくのはとても難しいことです。

特に我が家のような小さなお寺は本当に20年、30年先が見えないような状況です。

でも、人生において20年先、30年先が読めないのはみんな同じですよね。

私は自分で物事を考えられる間はお寺を守りたいなと思いますが、それもまた時代とともに変化していく考えであってよいと思っています。

この先どんなことが自分や家族、そして社会にあるのかはわかりませんし、先の見えない未来をこうだと固執して思い込んでしまうことでもないと思っています。

皆さんも、実家の墓問題や仏壇問題などで悩まされることもあると思いますが、そういう問題はなかなか自分一人で決められないことも多いと思います。

今すぐ解決するのは難しいことでも急に良いタイミングが訪れ、それまでうまくいかなかったことがすんなりと解決することもあります。

流れに身を任せる、時間に身を任せるというのも大事なのかなと思うので、その時が来た時にさっと動けるようにその時までに自分たちがどうしたいのか考えて、どのような方法があるのかを調べておきたいと思います。

まとめ

小さいお寺で暮らすということはそう皆さんと変わりのない毎日だと思っていただけたでしょうか?

家の敷地にお寺があって、本堂があって、お坊さんの使う衣や経典などがたくさんあったりはしますが、いたって生活は普通です。

kiko
kiko

生もの食べちゃダメとかもないですしね

ただ、お寺が生活のそばにあるのはいいものです。

私はお寺の建物が好きなのですが、本堂の天井や柱の彫り物や飾りなどを見ている時や広い畳の上で一人座っている時、なんて贅沢なと感じたりします。

鐘楼から集落を見るのも好きだし、寺の屋根と空を見上げるのも好きだし、本堂の外階段に座って涼むのも好き。

そういうものが身近にあるというのは特別、素敵なことだと思っています。

ただ将来この建物が維持できなくなって取り壊さないといけないときが来るかもしれない―

それはどうすれば避けられるのだろうかと、いつ自分たちで管理できないだろうかという不安もあります。

お寺で暮らしているということを感じる瞬間でもありますし、お寺と生きていると思う瞬間でもあります。

そういう一つ一つの瞬間を大事にして、自分が生きている間、小さなお寺と古い家を守っていきたいなと思います。


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